じ ゅ ん




じゅんは、ブリランテ フォン ハイフェッツ JPといいます。

サラが最初に産んだ子です。

何か、産まれた時から骨のとても太いずんぐりした男の子でした。




少し歩けるようになると、呼ぶと誰よりも早く飛んできて遊んで、という感じの子でした。

ちょっとやぼったいけど、可愛い犬でした。人は誰でも大好きで人見知りの全くない子でした。




本部展もBOBをとりました。

彼の、犬生は、とても不幸なものでした。

彼が、五才になった二月のことでした。朝、彼のハウスを開けると、、、、ヘルニアでした。

後ろ足が全くだらんとしていました。

前日まで自転車で走って運動していました。

私は、初めてヘルニアを見ました。あわてて、かかりつけの病院につれていきました。

すぐの手術をすすめられました。

ダックスをやっていたのでヘルニアについて少々の知識はありました。

でも、、、、、こんな突然? 薬で様子をみないで?手術?

知り合いのブリーダーに聞いたところ、手術はすすめないとのこと、

どうしよう、私は、迷いました。しかし手術するなら48時間以内にしないといけません。

私は手術をお願いしました。

私は、それでどうにかなると思いました。

しかし、その夜遅く、獣医からかかってきたTELはショックなものでした。

何か普通のヘルニアと違うようだ。もしかしたらこのまま亡くなってしまうかもしれない、、、ということ。

私はあまりに突然のことに呆然としました。

しかし、彼は軟化症では無かったようです。彼は生きました。

彼が病院から帰った後、私は思いました。

何とかして彼の後ろ足をもう一度たたして歩かせるようにしようと、、、、、、、

私は、それからの二年間、毎日朝と夜 二度 暖かいお風呂で軽く泳がせマッサージをしました。

針治療もつづけました。ビタミン剤も飲ませました。

そうして少しずつしっぽを振るようになり後ろ足も動くようになりました。


しかし立つことは全くできません。

私は、未来のことを考えるゆとりがなくなりました。

私が他の子に夢中でこの子をしっかり見てやれなかったからこうなったんだという自責の念でいっぱいでした。

毎日、毎日、あけてもくれてもの介護、私は外での仕事やおつき合いを全く断ることにしました。

自分の体がつづかないのです。

そして二年が過ぎました。

私は決心しました。私はボロボロになっていました。

獣医の先生に相談しました。もうじゅんの足は立つことがないと思う。

これからは立つこと、歩くことより
その現実を受け止めたい、、、、、、と。

そのことを決めるのに私は二年かかってしまいました。



彼に車椅子が先生からプレゼントされました。

じゅんはとてもうれしく毎日お外にいきました。

外のにおいがとても嬉しかったのでしょう。

しかしそれも長くは続きませんでした。リハビリをやめた後ろ足はすごい勢いで筋肉が無くなり

一年もすると
車椅子も全く嫌がるようになってきました。

彼はサークルの中で残りの犬生を過ごすことになります。

しかし不思議のものです。彼はサークルの中で毎日ご飯やおやつ、又他の犬たちとの交流を

とても楽しんでいました。

私は日に二度以上のサークルの敷物の洗濯。排尿、排便の世話をかかさずつづけていました。

もちろんシャンプーや爪切りも。

もちろん彼がそうなったことで、ヘルニアについては勉強いたしました。

そして私が彼のヘルニアの前兆を見逃したのではないか、、、ということは、今も心の傷になっています。

彼のおかげで?私の他の犬の管理は全く変わりました。運動の仕方から、全くです。

 

そして、それ以来私の犬は私が管理する上ではヘルニアになっていません。

(大変不幸のことに私の大切なBiBiがアメリカでそうなってしまいましたが。)

彼は、ヘルニアになって満七年生き続けました。

最後の数ヶ月、排尿、排便が少し出にくくなりました。

獣医さんに薬を頂き、それを助けていましたが、1月26日の夕方いつものように排尿を手助けしたとき

真っ赤な血尿が出て、、、、、そのまま逝ってしまいました。

彼のそれまでの犬生をあまりに哀れに神様が思いになったのでしょう、、、、あまり苦しまず逝きました。(直前までご飯やおやつを食べていました。)


最後の時に私はじゅんにもう一度あやまりました。私のせいでごめんね、

じゅん、どうか私のしたことを

許してねって。お母さんもみんなもそのうちあなたの所に行くからどうかその時は、

一緒に楽しくすごそうねっていいました。

じゅんの顔に自分のほほをあてると少しずつ体温が下がっていくのがわかりました。

私は、彼にあまりに多くのことを学びました。

犬を飼うということはどういうことか、、、、、、、、ということをです。

今頃彼はお母さんのサラと一緒に元気に虹の橋で遊びまわっていることでしょう。


ごめんね、じゅん。そして生まれてきてくれてありがとう。

最後のお別れの時、彼の葬儀をしてくれた方にねだこが一つもできていないね、、、といわれました。

私は、ハイと答えました。

それは私が彼にしてあげることができた精一杯のことでした。

 

                                   2007年2月

                                      山室敦子